2012年03月12日

ちょっと穿った見方で解釈してみる千年女優

地震にはよくよく縁があるのかしら
--藤原千代子「千年女優」--

絆と聞いて思い出すのが一年前のお話。帰宅難民して心細い中、某つぶやきに自分にとって一番愛しい人から励ましのメッセージがあったのでした。あまりにもいい話なので詳しくは書かない。

んで、こんな時だからこそ好きなアニメ映画の一つ「千年女優」について書いてみようと思う。ストーリーは、昭和の邦画全盛期とその前後にわたって活躍した名女優である藤原千代子が、女優時代についてのインタビューを受ける。女優になったいきさつから始まる彼女の話に、いつしか出演作品の名場面が織り交ざり、現実と劇が複雑に入り組んだ物語となって流れていく。

しかも出てくる作中劇は「蜘蛛巣城」から「ゴジラ」まで映画に詳しくなくてもなんとなく見覚えがある名作のオマージュに溢れているので、それに気付いて楽しむという見方もアリ。

さてこう書くと滅茶苦茶なシーンの羅列になるかと思われますが、それをしっかりとした作品としているのは一本のストーリーがあるため。女優になるきっかけは偶然出会った「鍵の君」と再会を果たすためであり、彼女の人生は様々な場面で彼を探し、追いかけるものとなるのです。そして最後の台詞がカッコイイ。「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」額面どおりに受け取れば初恋を追い続ける素晴らしいラブストーリー。お約束の感動です・・・

はい、そういう解釈だとちょっとつまらないので穿った解釈をしたいと思います。この台詞、彼女の女優としての最後の台詞、つまり演じている言葉なのではないでしょうか。彼女にとって「鍵の君」は再会したい相手から、いつしか女優を演じる上でのアイデンティティと化し、自分の役を作るための材料になっていたのではないかと思うのです。

そう思ったのが「傷の男」が撮影所に来るシーン。ここで話を最後まで聞かずに千代子は飛び出しますが、この話を最後まで聞いていれば「鍵の君」との再会は果たせたのです・・・約束の地(故郷)で、墓石に花を手向けるという形で。しかし、千代子はそれを拒否し、この時点で彼女が追いかけているのは自分の内面にいる「鍵の君」となるのです。とはいえ、相応の歳になった彼女には「傷の男」が何を話そうとしたのかはわかっています。走った末に辿り着く月面、チューリップ型に開くゲートを見ればそれは機動戦艦n、失礼、「2001年宇宙の旅」のオマージュであり、それを踏まえれば月面に立つ画架はモノリスになり、この場面ではまるで墓石に見える。ってのはこじつけでしょうか。

「鍵の君」を巡るストーリー、それはとっても美しいラブストーリーですが、千代子はそれに翻弄されていたのではなく、女優としての若さや魅力を生む糧として自分で創ったストーリーを演じてきた。そう考えると最後の台詞は女優のプロ意識と言うかナルシズムと言うか、そういう強さを感じるのです。

さて、自分が今この台詞言ったらどう解釈されるのかねw
え、「そんな相手いないクセに」?そりゃ無いよwww
posted by たわらった at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評(漫画・ゲーム・映画も) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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